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インタープレイを“き”かせてくれ

ジャズ好きな、そこそこ年のいったライターのブログです。周囲の誰よりも早く、コレステロールの薬飲み始めました。

弁当の冷えたごはんについて

弁当男子だの、弁当女子だの、ちゃらちゃらしやがって! 男はだまって立ち食いソバでも手繰ってろ!

 

そんなことをのたまわっていたのは少し前。いまでは立派な「弁当おっさん」である。

 

弁当の良いところはやはり、手早く、ヘルシーに食事を済ませられるという点だろう。

職場である新宿界隈のランチ時の人の出は筆舌に尽くしがたく、

人波にのまれる様は、荒海にこぎ出した初心者サーファーの様相を呈する。

 

ヘルシーという部分は、実を言えば、なんとはなく気分的なものだ。

弁当の主役である米と、焼いた肉、煮物野菜、漬け物などを付ければ、

塩分とカロリーは結構な数値となる。

 

もっと下世話なメリットを上げるならば、弁当を持参することでお金が浮く。

 

外食が軒並みすべて高いという気はないが、一汁一菜に小鉢などをつけようものなら、

カロリーが溜まるだけではなく、たちまち財布に住まう文化人達が、

ベンジョンソン並みの助走で走り出ていってしまう。

 

それらを総合して、あれだけバカにしていた弁当を持って行動するようになった。

 

食べる所はもっぱらオフィスである。屋外で行き交う新人OLや、オフィス街に迷い込んだ不思議の国のアリスとも言うべき老婆、なぜか集団行動を好むスーツ姿のおっさん5人衆などを眺め、青空の下弁当の蓋を開けるのもいいだろう。

 

しかし、どうしても冷えたごはんだけは許せないのだ。

 

冷えたご飯はレジスタントスターチがうんぬんかんぬん、などと言う科学的、ましてくそったれの健康マニアのようなことを言うつもりはない。

 

単純に舌触りがイヤだ。冷たいごはん独特の、水分の抜けた感じというか、ぺっとりとした感じというか。

それを感じただけで、お腹は空いていても、食べたいという欲求が失せてしまう。

 

これはいわゆる駅弁などにも言えることで、電車の中でご当地駅弁を食べている人を見ると、旅情を感じうらやましいと思う一方、そんなもの食べて・・・・・・という偏見にさいなまされることになる。

 

これらの包括的な解決策は、電子レンジなのだ。

 

温めれば問題ナッシィング!! お金は浮くわ、ヘルシー(気分的)だわ、好きなものを食べられるわ、世は事も無しである。

 

そのためにこそ、電子レンジがあるオフィスを主戦場とせざるをえない。

 

しかしながら、独身30台のタッパーに詰めたオフィス内弁当は、

どうにも意味深に見えるらしく、同僚からの目線が痛い。

 

今日も今日とて、電子レンジの奏でる昼食の合図を楽しみに、もう少し働こう。

アイドルにハマることについて

ハマった。

 

齢30にして初めてハマった。どのくらいハマったかと言うと、

深い縦穴に流し固めたコンクリくらい、ぴったりがっちりハマった。

 

でんぱ組.incに。

 

元気に、笑顔で、一生懸命踊る女の子。なるほど、元気がないときに見ると

非常にさわやかな気分となる。

 

今まで一度もアイドルに没入したことのない自分は、

アイドル好きの友人に対して下卑た冗談ばかり言っていた。

 

見てるだけでいいなどと詭弁だ! 貴様! 

夜な夜な彼女達のグラビアでも見ながら、

神妙な面持ちで股ぐらにでも手を伸ばしているのだろう!

ゲハハハ!

 

などと言っていたが、今や私はまさしく見ているだけで満足なのである。

 

さて、アイドルにハマるくらい男性なら多くの人間が経験することなので、

大したことはないのだろうが、問題は私が、いわゆるオタクと呼ばれる

人々とほぼ同じ見た目であることだ。

 

編集業という、ほとんどお百度参りを永遠に繰り返すようなハードワークにより、

日の光を浴びることがなく、肌は色白。

 

同じく、生き仏となる仏僧の如く同じデスクに毎日座り続け、

運動不足から体重は90kgを越す。

 

そして、日々の編集・執筆活動により視力が落ち、

ベスパに乗り、免許規制により黒縁メガネをかけている坊さんのような、

いかにもなメガネをかけている。

 

ほとんどが職業病とはいえ、この格好の類似性はどこに起因するのか。

 

一度なぞ、アイドルイベント終わりのイベントスペース前の人だかりに紛れ込んだ際、

友人は一瞬で私の居所を見失ったそうだ。

 

ひとだかりの中、私はずっと友人を見つめているのに、きょろきょろと私を探す友人。

胸に去来した気持ちは筆舌に尽くしがたい。

 

いかにもな外見をしているからこそ、周囲に告白するのがイヤだ。

 

「やはり」

 

とか、

 

「知ってた」

 

とか、

言われようものならその者の首かききって、返す刀で腹を十字にかっさばく勢いである。

 

しかし、それにしてもよくこれだけ自然な笑顔でいられるものだ。

電車の中で少しばかり肩がぶつかっただけでも不快な表情をする人もいるというのに、

これだけの笑顔を見せられれば、自然とこちらも笑顔にならざるをえない。

 

今度なにかあったときは、私も無理矢理でも笑顔になってみようか。

不安に思う相手に向ける笑顔には、想像よりも多くの気持ちはこもるのではないだろうか。

 

そんなことを考えながら「ピンキーたん、はぁはぁ」とか頭に浮かんでしまう、

昭和生まれの古いオタクな自分に、笑顔を向けられる器量のない自分に、

まだまだ成長が足りないなと、ムチを打つ日々である。

 

それにしても、

 

 

 

 

 

ピンキーたんかわいいよぉぉぉっぉぉぉぉっぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉっぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!

考えてもしようのないことについて

バレンタインデーが近い。

 

モテない男がこうやって悲観的なことを言い出すことも含めて、バレンタインという1つのパッケージになっている気がする。

 

毎年カップル達に呪いをかけているので、今年くらいはいい思い出について考えたい。

 

 

 

 

と、

 

 

 

pcの前で固まること1分。考えたが何も思い当たらない。

 

 

 

本当に何もない。

 

 

恐ろしい。

 

 

今年もやっぱり呪いをかけよう。

 

全てのカップル・夫婦(破局・離婚間近は除く。破局・離婚しそうなカップル・夫婦が駅の改札で口論しているのを見ているときだけがやすらぐから)に不幸あれ。

つるまる饂飩について

新宿駅南口から甲州街道を渡って少し。住所的には代々木にあたる地に、「つるまる饂飩」といううどん屋がある。

 

いわゆるチェーンのうどん屋で、かけうどん一杯200数十円で食べられることに魅力を感じる。

 

といっても、特筆するほど「うまいぜ!!」というほどではないので、月に2~3回行けばいいほうである。

 

ご多分にもれず、給料日前などの利用がほとんどだ。

 

また、そばとうどんを同じ釜でゆがくという、麺類業界に一石を投じるがごとくのアグレッシブな調理スタイルで、正直そばはまずい。

 

そんなつるまる饂飩のロゴマークに注目したい。

 

「つ」と「るまる」に分け、前者を大きくしたロゴ。濃い青の中に白抜きになった文字。そして、「つ」の部分は、「るまる」に比べすこし乱雑に書いたようなフォントになっている。

 

これは、おそらく「つ」をうどんに見立てているのだ。たしかに、ゆであげたうどんの表面は少し雑なはがれのような状態になっている。

 

シンプルながら、実に練られたロゴだ。

 

すべて想像なので、真偽は確かではないが、ロゴを作ったデザイナーはなかなかの実力者である。

 

そんなロゴ、どんぶりの中心部分に描かれているのはご存じだろうか。

 

つるまる饂飩のうどんは関西風の透明度の高い出汁なので、自然このロゴが目に入る。

 

ここに落とし穴がある。

 

パッと見、うどんが1本残っているように見えるのだ。

 

麺を手繰り尽くし、出汁をすする。もちろん、レンゲなどはないのでどんぶりを両手に持ちごくごくいく。

 

その際、噛みきったうどんの切れ端が何本かある。こいつを箸で口に運びながら出汁を飲む。

 

出汁は熱いので、すするといった方が正しいが、この残ったうどんと出汁をすする瞬間が一番おいしいといっても過言ではない。

 

ズズズッと音を立てながら、口の中に数本のうどんの切れ端がヒュッ、ヒュッと消えていく。

 

実に爽快だ。

 

さきほども同じように出汁をすすっていると、まだうどんの切れ端が1本、どんぶりの底の方ある。

どんぶりを左手に持ち、出汁をすすりながらなので視界が悪い。

 

なんど箸で手繰ろうとしてもつかまらない。

 

 

ロゴマークだった……。

まさに、「つ」の部分であった。

 

 

恥ずかしさの極みである。

 

来月には30ともなろう身空で、実在しないうどん目がけ、ひたすら箸を伸ばすおとこ。

 

いつもなら全部すする出汁を少し残し、悲しみを覚えながら席を立った。

 

また給料日前には、ありもしないうどんをすすろう。

朝ごはんを食べないことについて

仕事をさぼってネットサーフィンをすることがある。

 

僕は紙媒体がメインなので、webは主戦場ではないものの、

まあ、ライターとしてはこれも立派な市場調査と言えなくもない。

 

冷静と情熱の間ならぬ、仕事とサボリの狭間、だ。

 

 

自分で料理をするので、お料理系のレシピ紹介なんかはよく目につく。

 

最近多いのは、朝ご飯に関する記事だ。

 

アサイーボウルだの、スーパー大麦グラノーラだの、フライパンで焼くトーストだの、朝がゆだの、枚挙にいとまがないくらい種類がある。

 

本当にこんなに食ってんの? と、疑問がわくほどだ。

 

なんせ、僕はここ3年くらい朝食を食べていない。

 

起床後10分ほどで出掛ける身からすれば、朝食の準備・実食・片付け、こんな無駄な時間もなかなかないと思ってしまう。

 

さて、そんな僕が久しぶりに朝食を食べる機会を得た。旅先でのことだ。

 

某東北でのこと。関東出身の僕から見れば、住み慣れた都内よりもキレイな空気、流れる木々の葉のすれる音、柔らかな朝日で7時に目が覚めた。

 

平日であれば、7時に寝て9時に起きるときもあるので、ずいぶんはやく起きてしまったなと感動すら覚えた。

 

さて、いつものごとく10分で準備をし外に出た。

ふらふらしているとパンケーキ専門店が。

 

なんと朝の7時30分だというのに、多くの人が店内にいる。

しかも、仕事での東北出張だったので、平日の出来事だ。

 

衝撃的な光景だった。

 

僕も海外ドラマみたいな朝を過ごしてみたくて、入店。

 

40分後、僕は猛烈な吐き気に襲われていた。

 

なんだ、あのベーコン、パンケーキ、コーヒー、重い……。

 

朝からあんなもん食ったら、胃がやられる……。

大体、朝コーヒーなんて飲めない。日本茶が一番いい。

 

胃からしてオシャレ人間にはなれないらしい。

 

朝ご飯とオシャレライフは、どんどん遠のいていく。

そして近づいてくる、中年ライフ。

 

歯磨きをする度に出る嗚咽が、我ながらもの悲しい。

読書について

仕事柄とにかく文章を読む機会が多い。

 

そうでなくても世の中には多くの広告情報が溢れており、

なにがしかの文字を目にしない日はない。

 

自然、仕事が終われば文章は読みたくないので、マンガを読むことで気分転換が図れる。

 

といっても、マンガも文章量が多い。

 

僕の頭の中は、すぐに完結するものよりも、長く連載しているものが好きという、

世俗感覚に満ちあふれた傾向にある。

 

連載が長いものは、巻を重ねるごとに文字量が溢れてくるので、

やはり疲れる。

 

そこで最近は、4コママンガをよく読む。

 

マンガタイムとか、ほんわかした感じの雑誌連載ものなどが多い。

 

それでもやっぱり本を読みたくなるので、度々本屋では文庫コーナーに向かう。

 

手にするのはエッセイが多く、大先生方の小気味いい文章に心奪われながら、

熱心に読みふけっている。

 

さて、みなさんは自分の読書中の顔を見たことがあるだろうか。

 

私は、ほとんどなかった。

 

なにしろ、本とにらめっこをするような形になっているのだから、

それでも自分の顔を見られるというのは聖徳太子的特殊スキルだ。

 

そんなこんなで、小学生からの読書人生において、

一度も見ることのない読書中の顔を、先日初めて見た。

 

喫茶店で人を待ちながら読書をしていたところ、

遅れてきた友人がパシャリと僕の顔を撮影したのだ。

 

試しに拝見するとそこには鬼のような形相をした僕が……。

 

軽い恐ろしさを覚えたが、よくよく考えてみれば、

そのときにちょうど読んでいたエッセイはマナーの悪さをトピックとしたものだった。

 

ああ、僕は読書中には感情が顔に出るのかと大層驚いた。

 

そこでふと気づいたのは、電車の中などの公共スペースではどのようなことになっているのかということだ。

 

これは恐ろしい。愛読しているエッセイなどはショートショート並みにトピックが入れ替わる。

 

つまり、食事テーマでは今にもよだれを垂らしそうな顔をし、ちょっといやらしいテーマではゆるみきったいやらしい顔をしているのかもしれない。

 

ましてマンガなどどうなっているのか。

もしや登場人物と同じ表情をしているのはとそら恐ろしくなる。

 

是非読書中の顔をカメラなりで撮影してみいただきたい。

 

しかし、我ながらそこまで感情移入できているというのは、

文庫・マンガ数百円のもとは大いにとれている。

 

これを書いているときの自分の顔は、どうなっているだろうか。

鬼の霍乱について

年始から人間ペットボトルロケットになったかのような腹の壊し方をした。

 

人間、困ったときは神頼みだというが、

やおら便器にまたがりながらまさしく神に祈った。

 

初詣はここだったかもしれない。

 

10日間に及ぶ死闘のすえ、僕の腸内善玉菌はなんとか悪玉菌とウイルスを死滅させたようだ。

 

きっと、腹の中ではハリウッド映画のような事態が起きていたに違いない。

 

善玉菌A「くそう、俺はもうダメだ。やつらが来る前にこの腸内隔壁は俺が閉める! 先に行け!」

善玉菌B「そんな! 待て! 家に帰ったら善玉菌子にプロポーズするって言っていたじゃないか! ボブ! ボブ~!」

善玉菌A「(親指を立て消えていく)あばよ」

 

かっこつけている所悪いが、そんな善玉菌AとBも、仲良く屁と共に便所でひりだした。とてつもない勢いで水が噴射され、大きなイボ痔まで煩ったのだ。AとBには悪いが、一人腸内洗浄のごとき威力だった。

 

僕は体が頑丈な方なので、滅多に病気をしない。

まして、病気になったときも荒療治をすることで一晩で治してしまう。

 

インフルエンザになったときも、極寒の1月下旬に部屋の窓を開け放ち、

腋と首と股にぬれタオルをあて熱を冷ました。

 

すると次の日には体調はほとんど全快していた。

 

それが、10日間経っても、善玉菌Aどころか、善玉菌Zまでケツから出し尽くしてしまっている顛末である。

 

30を前にした男など、もはや衰えていくだけなのかと悲しくなったものだ。

 

話は変わるが、病気をしている間に気づいたことがある。

 

僕は案外寂しがり屋だということだ。

 

正月元旦ともなれば皆、初詣に行ったり、懐古の念を持って古き友人に会ってみたり。

体調不良でその様子だけを眺めているときに、少しどころかとんでもなく寂しくなった。

 

健康とは、誰かと寄り添うためにこそ必要なのだろう。

 

体調が回復し友人にあったとき、久しぶりに屈託なく笑った。

久しぶりに笑ったせいで頬の筋肉がつるかとおもったが、なんとなく心地よかった。

 

ありがとう、善玉菌達。

白黒の写真で、集合写真をバックにエンドロールが流れ始める。