インタープレイを“き”かせてくれ

ジャズ好きな、そこそこ年のいったライターのブログです。周囲の誰よりも早く、コレステロールの薬飲み始めました。

温泉について

夏! 温泉! と連想してしまうのは、温泉地として有名な箱根のほど近くで育ったからかもしれない。

 

箱根の泉質は、比較的透明度の高いものが多く、コロコロとした触感がする。

 

ああ! 忙しいときほど温泉のことが頭から離れない!

小説家は温泉宿に缶詰にされて原稿を書かせられるらしいが、クラウドで書類などの管理ができる現代では自宅に軟禁だ。

 

ちょっと頭をさえさせるために温泉に…。なんてこともなく、東京の水道水で体を洗うばかり。ずいぶん合理的でつまらない世の中になった。

 

温泉の醍醐味はなんといっても、入浴までの所作だろう。

まずは、エントランスで入浴料を払う。裸足ないし靴下で木製・畳製の床の感触を楽しみながら歩き、脱衣所で服を脱ぐ。

 

ミニタオルで股間を少し隠しながら湯船に向かう。湿り気と、独特の硫黄臭を少し感じる空気を肺に取り込みながら、濡れた石畳を足に感じる。

 

そうして、見えてくる。なめらかな表面をした湯船が!

ワクワクとした気持ちが、少し足早にさせる。

 

片足を入れる。熱っ! しかしひるまない。太ももまで入れたら、もう片方の足も。頭の先までぶるるっと震え、腰から腹にいたり、肩までつかればため息がでる。

 

このため息と一緒に、汚らしい感情は外に排出され、湯船に疲れがとろけていく。

両手で湯をすくい、顔にバシャリとかぶり目元を拭う。

温泉に入りたくてしょうがない!

 

温泉や銭湯がもっと日常の風景として存在した世代は、僕たちよも二回りは上の世代だろう(僕は来年30歳)。そのためか、自分と同じ・または少し上の世代・その子供達は大体マナーが悪い。

 

自分も含めて気をつけねば。

 

余談だが室町時代くらいまでは、風呂といえばサウナのようなものだった。蒸した体を垢かき棒でかき、流すくらいにお湯を使ったとか。

 

つまり、日本の伝統的な風呂といえば、元来サウナなのだ。

しかし、それを知る人は少なく、温泉地での湯治を想像する人が多いだろう。

僕たちは案外、本質的なところを知らない生き物だ。

 

そう考えると、ただの入浴もまるで哲学的な行いのよう。

アルキメデスは風呂場で天恵を得たと言うが、僕もそれに習おうと考えごとをしてみた。

目に浮かぶのはチンカチンカのルービーと枝豆で「ばからしい、考えたってはじまらねえや」と股間をぶらぶらさせながら風呂をあがった。

 

ぶらぶら させるほどものがないという脚色は置いておいて、こうやって心を解放できる場所が少なくなったことに思いをはせる。

 

心も体も裸にすることができず、いつまでも気を張り続ける。その張り詰めた緊張がちぎれる瞬間を「切れる」というらしい。

 

疲れたら温泉というのも、あながち馬鹿にできない。

ビールを流し込むと「ブハーっっ!」と声が漏れる。アルキメデスほどの知的さはないが、これも天恵と呼べるものだろう。