インタープレイを“き”かせてくれ

ジャズ好きな、そこそこ年のいったライターのブログです。周囲の誰よりも早く、コレステロールの薬飲み始めました。

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿ついて

一昨日、下町で食事をした後、隅田公園を散策した。

 

時刻は22時ごろだったろうか。

 

ランニングをする人々とすれ違いながら、目的もなくぶらぶらとする時間は、なかなかに得がたいものだ。

 

スカイツリーは橘色に色づき、なんだか手塚治虫の世界に迷い込んだ気がする。

 

少し湿った空気はもやのように空にかかり、上野や東京の方角の街の灯を、僕のいるところに垂直に映し出していた。

 

遊具やベンチ、座ることができるようにスペースの空いた植え込みの影には、年頃の恋人達が人目をはばかるようにして点在し、くすぐったいような声でささやきあっている。

 

それらを横目で見ながら、少し海の匂いのするしめった空気を吸いこむと、なんだか人が大勢いる、いかにも東京というような気がして楽しかった。

 

しばらく歩くと、もっと川沿いに降りられることが分かった。

そちらの方に歩いていくと、より水っぽい空気が肺に取り込まれて、気持ちがよかった。

慈雨の際に傘をさして散歩しているようだ。

 

しばらく呆けて歩いていると、同行者から、隅田川の話を聞いた。

 

この広い、大きな川には、その昔多くの人々が飛び込んだとのことだった。

東京大空襲による出来事だ。

 

隅田川沿いには慰霊碑も建立されている。

 

こんなことを調べたり、人づてに聞かなければ気づかなかった自分に吐き気がしたし、

恥ずかしい思いがした。

 

僕のような業界の末席にいるような人間に、まして昨日今日気がついたようなうわべの人間に、このことについては触れられる訳もない。

 

それでも、当時の姿がまったく想像できないほど整備された隅田川は、筆舌に尽くしがたいほど美しく、この気持ちは表現できるものの域を超えている。

 

この辺りは、春になれば桜の花でいっぱいになるそうだ。

花見客も大勢いて、それはそれは壮観だとか。

 

僕はしばらくすれば、東京から神奈川に引っ越すことになる。

それでも、次の桜が咲くころには、ここに酒でも持ってこようかと思っている。

 

当時の人々が、どんな気持ちで、夜半に歩く僕を見ていたのか。

恥ずかしい姿を見せることはできない。